菊地勝吾の日記

シドニーに住んでいます。ドイツのIT企業に勤務。ラグビーが大好きです。

フランス語のNHKラジオ講座を久しぶりに聞き始めた 多文化の理解促進につながると信じて

久しぶりにNHKラジオの語学講座でフランス語の番組を10月から聞き始めた。週に2回、応用編で自分の興味を惹く内容の講座が始まったからだ。テーマは「フランコフォニーとは何か」で、フランス語話者の世界組織のことから始まって、第5回目からはフランス語史の話が始まった。自分にとっては、実に面白い内容だ。

フランス語は大学時代の第2外国語として単位履修しただけでなく、3、4回生でも上級単位の学習を続け、卒業後も学習を継続した経験がある。夢は結局叶わなかったもののフランス留学を希望していたので、フランス語に関して自分は初心者ではない。

 

ただし、今は英語国のオーストラリアに住んでおり、日常生活は日本語か英語、仕事や社交・スポーツ活動では英語のみを使っているので、フランス語が役立つとか使うなどの機会はまったくゼロである。

 

筆者が住んでいる地域はシドニーの中心部に近く古い街並みの町なので、フランスやベルギーなどのフランス語圏出身の人がかなり多いらしいのだが、近所の社交場であるパブの飲み友達の中にフランス語の話者は皆無。そもそもフランス語の話者がパブでビールを飲みながら、不特定多数の人たちと社交しているという場面に出くわしたこともない。

だから、「なぜフランス語を勉強したの?」とか「フランス語って何か役にたつの?」などと聞かれたことが何度かある。しかも、パブの客の中に多いイングランド人の場合は、フランスやフランス語を嫌悪する「嫌フランス派」がけっこう多いので、会話では注意がちょっと必要だ。

 

フランスに留学した経験があるというイングランド人(*注)が飲み友達の中にいるのだが、フランス語を使った軽い会話の後に英語で話している時に「俺はフランス語をフランスに留学して勉強したのでよく分かるけど、フランス人はイングランド人が嫌いだよ。イングランド人もフランス人が大嫌いだ」と言われた。この感情的な対立には、英仏間の歴史が絡んでいるので、当事者でない自分が入って議論をしても不毛だ。

(*注:連合王国=UKのブリティッシュ人をイングランドのポルトガル語読みの日本訛りに由来するイギリス人・英国人と呼ぶのは日本だけらしい。UKは王国連合だから、ブリテン島とアイルランド島北部の出身地域に応じて、それぞれイングランド人、スコットランド人、ウエールズ人、北アイルランド人と呼ばないと、相手に不快な顔をされる)

 

では、なんでまだフランス語をしつこく学んでいるのか?自問することは以前から何度も何度もあったのだが、これといった確たる結論は自分で出せていない。ひとつだけ言えることは、世界や自分の周りの社会が、母語の日本語と英語だけを使っている状態よりも、フランス語を知っていると、さらによく見える気がするのだ。

 

NHKラジオ まいにちフランス語2023年10月号の表紙

応用編の講師は、京都大学大学院・人間環境学研究科教授の西山教行さんと、京都大学国際高等教育院特定講師のジャン=フランソワ・グラヅィアニさんの2人だ。西山さんはフランス語教育に関して積極的に発言しており、日本フランス語教育学会の会長も務めている。

 

西山さんとグラヅイアニさん NHKテキストより

番組の第7回で次のような話題が出た。

西山さん「フランス語は現在でも普遍的言語なのでしょうか?」

グラヅィアニさん「まず、この『普遍的言語』という考え方は相対的に考える必要があります。というのもフランス語はその絶頂期にあっても、ヨーロッパのエリート層や外交官の言語でしたので、限られた人々だけが使う言語だったわけです。現在ではもちろん重要なコミュニケーション語は英語であり、フランス語はEUや国連といった組織を含めても、英語のはるか後ろにあるわけです。とはいえ、フランス語は5大陸で話されていますし、またアフリカ諸国の力が上昇すれば、世界の中でフランス語の地位はさらに強化されるかもしれません。」

 

アフリカ諸国の力が云々以降の説明に関しては、かなり疑問に思った。フランスがかつて植民地支配し、最近までフランス軍が駐留して現地の政権を支援していたアフリカ中部・西部のガボンやニジェール、ブルキナファソなどの国々では最近、軍事クーデターが次々と発生して、フランス軍が撤退したりなどの政情不安が続いている。この政治空白を狙ってロシアが進出している。

 

現地では反フランス感情が高まり、西部のセネガルではフランス企業が攻撃される事件も起きた。フランスがアフリカ諸国に対する新植民地主義的な政策を今でもとり、搾取し続けていると現地での反発が強まる中で、アフリカのコミュニケーション言語としてこれまで優勢だったフランス語は、果たして今後もその地位を保ち続けられるだろうか?極めて懐疑的に思わざるをえない。

(*現地の政治情勢とフランスとの関係に関しては、以下のCNNの記事が参考になる)

www.cnn.co.jp

話を自分のことに戻そう。

 

フランス語は動詞の規則活用・不規則活用があり、英語に比べるとずっと複雑だ。しかも名詞には男性と女性の区別があり、冠詞とセットでその区別をいちいち覚える必要がある。英語は名詞の性別がなく記憶作業が簡単にすむのだが、それはヨーロッパの諸言語の中では少数派。

 

こうしたことから、外国語として学習しやすいか難しいかの選択肢で問われれば、英語はフランス語よりはるかに学習がしやすいと思う。英語がコミュニケーション言語として世界中に拡大した理由は、大英帝国がかつて世界に広がり、現在は米国が世界中で政治的にも軍事的にも力を持っているからだけではない。要はコミュニケーションのツールとして受け入れられやすい言語だからではないか。

 

不思議なことに、フランス語を学習した後では、日常の「実用言語」である英語の学習がより楽になる。フランス語の学習を通じて得られた知識と運用能力が基盤にあると、英語ははるかに楽だと感じられて、英語という言語ツールを使ったコミュニケーションがスムーズになるのである。

 

言語学や脳科学の素人の自分には、例え話として適当かどうかは分からないが、フランス語は算数のドリルのようなものだと感じるのだ。やればやるほど、脳の活動が活発になって、英語を使っての会話や思考がより明晰になってくると感じる。英語が公用語のオーストラリアで、英語を日常的に高度に使いこなす必要がある今の自分にとっては、フランス語は不思議なほどコミュニケーションの基盤能力を与えてくれる存在だと思えてくる。

 

だから、フランス語の学習をこれからもしつこく続けようと思う。誰から何と言われようとも。

 

ところで、フランス語と同じインド・ヨーロッパ語族のロマンス諸語に屬するイタリア語は、文法だけでなく単語でもフランス語と類似・共通した項目が多い。フランス語の知識があると、イタリア語は非常に学習がしやすいのである。スペイン語の場合も同様だ。

 

もともとイタリア文化やイタリア料理が大好きなので、今、イタリア語にかなりはまっている。ちゃんと毎日勉強する時間を確保するような余裕は無いので、テレビやラジオでNHKの語学番組を聞き流す程度のレベルだが、楽しくて仕方ない。番組を見逃し・聞き逃したりすると悔しくなるほどだ。

 

イタリア系の住人が多い地域に住んでいるおかげで、イタリア語に接する機会は多く、近所のスーパーマーケットの加工肉・チーズの売り場では、客と店員がイタリア語だけでやりとりしている光景をよく見る。パブの飲み友達の中にもイタリアから移住してきた人が何人かいる。見ていても、聞いていても、話してもいても、とにかく楽しい。

 

料理や映画、スポーツなどが話題になると、彼らとは非常によく話が噛み合う。しかも、イタリア語も日本語も単語の語尾に母音が入り、母音をしっかり発音するので、英語で会話していてもお互いのアクセントを理解しやすく、話しやすい。お互いの文化を尊重し、相手の文化に興味を持ち合っているという意識と姿勢が、相互理解にとってのブースター(促進剤)になっているのだろうと思う。

 

イタリア語を本格的に学習できるような時間的な余裕がもしもあれば、おそらく短期間で自分は習得できるのではないか。それはフランス語の知識をある程度持っているからだ。なんせ、フランス語に比べると、イタリア語は「カジュアル」だ。人称ごとの動詞の活用があるから、主語を言わなくてもいいなど、厳密さが求められるフランス語の構文に比較して学習がかなり楽ではないかと感じる。しかも、名詞の性別はほぼ同じだから、これはすでに学習済み。発音もしやすい。

 

こうして考えてみると、学生時代から学んできたフランス語のおかげで、英語を実用的に使いこなせるようになったと感謝せざるをえない。さらに、英語以外の言語や文化にも対しても興味が尽きないのも、フランス語が言語能力の基盤をサポートしてくれていると思う。

 

オーストラリアは世界中からの移住者を受け入れている国なので、さまざまな言語・文化的な背景をもっている人たちが暮らす多民族・多文化の国家である。人と人とのコミュニケーションの中でさまざまな文化的な違いやその背景を、会話しているその場で即座に理解しなくてはならない社会的な環境が、この国には存在する。多文化社会に対する理解をひとりひとりの国民が強く持ち、それを社会の中で実践できないと、やがて分裂や対立を生み、この国は成り立たなくなるのだ。

 

フランス語はこの国ではまったく不用だし、使う機会すらもないーーーのだが、自分にとっては日本語に次ぐ言語能力の基盤だし、多文化社会でのコミュニケーションのブースターなのだ。