菊地勝吾の日記

シドニーに住んでいます。ドイツのIT企業に勤務。ラグビーが大好きです。

言語対立は民族の闘争 ー 母語を奪われた華人系インドネシア人の歴史から学ぶ

 近所の大手スーパーマーケットには、華人系インドネシア人がたくさん働いている。華人系の同僚どうしの会話はインドネシア語ばかりだ。その他の同僚やお客との会話は流暢に英語を話しているので、職場や仕事上でのコミュニケーションにはまったく問題がないようだ。彼らは華人系だが中国語はまったく理解できないそうだ。こうした華人系インドネシア人の多くは、1998年5月にインドネシア各地で起きた「反華人暴動」の後に、オーストラリアに移住してきた家族たちだ。

北京の故宮 華人・華僑を世界中に送り出した中国。写真は筆者

 この暴動の後、当時のスハルト政権は崩壊し、中国の影響を排除するために文化や教育などで実施されてきた華人差別の法律は廃止された。それまで華人は、漢字の使用はもとより華人教育も禁止されてきた経緯がある。このため華人系インドネシア人の多くは先祖・民族の言語である中国語(*先祖は中国南東部の福建省からインドネシアに移住した家族が多いため福建方言。華人の人口が最も多いのはインドネシア)を学ぶ機会がなかった。民族集団として母語を奪われた歴史を持つ人たちである。

写真は北京の市内。筆者撮影

 この華人系インドネシア人たちと買い物のときに接すると、中国語を話すその他の華人や中国系の人たちとの明らかな違いを感じてしまう。あくまで筆者の個人的印象であるが、華人系インドネシア人は人当たりがよくソフトな接客対応がうまくできている。この違いはチャイナタウンにあるスーパーマーケットで買い物をすると何となく理解できる。チャイナタウンのスーパーマーケットの華人・中国系の店員はおおむね無愛想(*ごめんなさい!でも本当)であり、接客態度としてはあまりいい印象を持てない。

 華人系インドネシア人はまるで別の文化をもつ華人の民族集団のように思えてしまう。

 民族のアイデンティティである母語。これを他者から意図的に奪われてしまったときに起きる独自文化の変容の姿や、母語を守るために民族がいかに努力しあるいは「戦ってきた」かを、華人系インドネシア人たちの会話を見聞きするたびに考えさせらる。

 

言語の対立は言語をめぐる「闘争」

 

 NHKラジオ・フランス語講座応用編の12課で「ベルギーの言語対立について」の話があった。日本語の題名は「言語対立」となっているが、フランス語での題名は「La guerre des langues en Belgique」と戦争(la guerre) という単語があてられていた。la guerre には対立という意味もあるのかどうかを、念のために辞書で調べてみたのだが、戦争か紛争という日本語はでていたが、対立という意味はでていない。つまり言語を巡る対立や争いは、真の意味では、戦争状態に近い闘争なのかと、この題名によって気付かされ、正直驚いてしまった。

 この驚きは、次の13課で学んだ「スイスの言語事情について」ででてきたスイスの言語事情に関する比較で納得ができた。以下は同講座テキストの日本語訳より。

 

質問:ベルギーとは違って、スイスではどうして言語共同体の間に緊張関係があまりないのでしょうか?

回答:簡潔にいうと、スイスは、13世紀から14世紀にかけて、いくつかの自由な共同体が自発的に結びついてできた国で、険しい山に囲まれ、天然資源にも乏しく、海にも面していません。一方でベルギーはスイスよりもずっと近年につくられた国で、ヨーロッパの列強による妥協としてつくられた国だからではないでしょうか。

 

 なるほど。簡単な説明だが、確かに18世紀から20世紀にかけてずっと続いたヨーロッパでの戦争のたびに、現在のベルギーのフランス語地域とオランダ語地域の力関係が変化して政治・経済情勢が変動している。しかも第二次世界大戦後の国境線変更によって、ドイツ語話者の地域がベルギー国内に編入され、ドイツ語が公用語とされるドイツ語共同体が国内にできている。

 その上、ベルギーの首都ブリュッセルが今日、EU(欧州連合)の主要機関が置かれて「EUの首都」と呼ばれているのは、大国のフランスとドイツの中間に位置し、両大国のプライドと意地のかけひきの妥協の産物として、真ん中にあるベルギーが選ばれたから、という単純明快な理由を知ってしまった。

日本外務省のサイト情報より Map Source : Ministry of Foreign Affaires of Japan

 ところで、言語の対立あるいは言語をめぐる闘争という観点からすると、オーストラリアではそうした摩擦が、表面的であれ深層的であれ、存在しない。ヨーロッパや東南アジアなどに多く見られる言語と政治を巡る争いが幸いなことに存在しないのである。世界中から移住者や難民を受け入れて多文化国家としての国是を掲げ、複雑な民族・人種構成が国内社会にあるにもかかわらず、言語対立がないというのは極めて恵まれた例と言えるのではないか。

 この点では、同じく多文化主義を掲げて移住者を受け入れている国家、カナダとは事情がかなり異なる。カナダでは歴史的な経緯に由来する英語とフランス語の言語対立と政治闘争が根深く存在するからだ。

 オーストラリアに言語対立のない理由は簡単である。公用語の英語が絶対的な位置を占めて国民のコミュニケーション言語として完全に機能している一方で、200種を超える諸言語は政治的にも社会的にも抑圧・差別されることはなく、むしろ同じ言語グループのコミュニティー内部での言語学習や使用が奨励されているからだ。中国語やフランス語、イタリア語などいくつかの言語は学校教育の中で第2外国語として履修されているし、大学入学資格試験でもテスト科目のひとつとして採用されている。

 公共サービスにおいては、英語以外の諸言語でのサービスも容易に受けることができる。以下のチラシは、連邦政府の健康・保健省が発行しているものだ。詳しい情報を自分の母語で読みたい場合は、連邦政府サイトを見れば掲載していますとの内容である。ここで案内をされているのは22言語だけだが、日本語を含め、実際はもっと多くの言語でもサービスを受けることが可能だ。

Source : Australian Government - Deparment of Health

 様々な言語を話す民族集団が存在しているにもかかわらず、英語をコアの共通言語とすることで言語対立が発生しないオーストラリアは非常にラッキーな国だ。ただ、この特殊な成功例を他国にそのまま持ち込んでも、うまく機能するとは思えない。オーストラリアが成功した理由のひとつは、コアの言語が英語だったからだ。

 コミュニケーション言語として英語は、世界ですでに圧倒的なシェアを持っており、今後もその重要性が増す一方だ。EUの首都とまで呼ばれても言語対立のあるベルギーでは、英語が将来「共通語になるかもしれない」(上記講座12課、講師のグラヅィアニ氏の説明より)とさえ言われている。

 ドイツ、フランスなどヨーロッパでは外国人労働者や移民が増加している。ドイツではこうした外国人に向けたサービスとして、ドイツ語の学習を支援、奨励する取り組みが行われているそうだ。しかし、ドイツ語はあくまで国民言語であり、国際的なコミュニケーション言語ではまったくない。

 その上、ドイツ語は文法が緻密で英語に比べると初心者には習得が難しいとまでされている。ドイツ語を学ぶことで、外国人がドイツの文化と社会を理解し、社会的な融合が進むという大きなメリットはあるはずだが、実際はどういう状況なのだろうか。ちなみに、筆者が勤務する会社はベルリンに本社があり、ドイツ人以外の外国人(トルコ人、ブルガリア人、ポーランド人、フランス人)もたくさん働いているのだが、ベルリン本社の社内外での会話はすべて英語だ。

 ドイツ語に比べると、国際言語としての地位を依然維持しているフランス語の場合もほぼ同様であると思える。フランス政府が国民言語としてのフランス語を保持・発展させ、学習を奨励しようとすると、フランス国内にいる外国人からは真逆の反応、つまり「英語への逃避」現象がでてしまうのではないかと考えてしまう。実際、フランス国内にいる不法移民が生命の危険をおかしてでもドーバー海峡をわたり、イギリスに行こうすると背景のひとつには、この言語問題(*英語が通じるイギリスなら仕事も得やすい)があると言われている。

 日本では国民言語としての日本語がある。公用語であるとは法令で規定されていないが、事実上、唯一の公用語である。国内で不足している労働力を補うため、分野を限定しながら外国人労働者を受け入れるようになったため、外国人の多い地域によっては多文化社会が発展してきている。外国人労働者を受け入れる際、日本語能力を事前に審査し人材を選抜しているのは、事実上の公用語である日本語を使ってコミュニケーションができるかどうかが大きなポイントになるからだろう。

 ただ、日本語の能力を基準とする人材選抜方法が今後もずっと維持されるかどうかは極めて疑問だ。ITなどの産業分野によっては日本語よりも英語の能力の方がはるかに有用だからである。また、日本人が外国人とコミュニケーションをする際にも、ほとんどの場合、英語がベースになる。

 産業・経済社会の変化に伴う労働力の国際移動とその時代的な要請に応じて、日本が将来、公用語として日本語と英語を法的に明記する時がやってくるかもしれない。その際には、世界的に稀な成功例であるオーストラリアの言語政策を参考にしたりはするだろうが、コアの言語が異なるため、そのまま適用はすることは不可能だ。さらに、英語に対して言語対立をしてきたフランス語も参考にはなるが、フランスの言語政策は適用除外とされるだろう。

 これに対してドイツの例は大いに参考になるはずだ。言語としての難易度は別にして、ドイツで現在進展している多文化的な社会変化は日本の状況とだんだん似通ってきたように思える。しかも、コアとなる国民の民族意識の強さと誇り、それぞれの母語に対する愛着と義務感に関して、日本人とドイツ人は非常に近いものがある。

 言語対立という話題を通して、未来の社会の一端が自分には見えてきた気がする。