菊地勝吾の日記

シドニーに住んでいます。ドイツのIT企業に勤務。ラグビーが大好きです。

中国の固有名詞をどう発音するか?漢字発音の相互主義に強い疑問を抱く

 中国の企業との間でソフトウエアのビジネスを始めて今年12月で15年になる。中国人の担当者との会話や文書のやり取りはずっと英語で行ってきたのだが、会話が通じないもどかしい場面に何度もぶつかってきた。英語そのものが通じないのではなくて、地名や人名の発音が通じないのである。漢字を紙片に書くことによって問題は解決されるのだが、固有名詞がでてくる度に筆談が必要となっていた。

 

 日本語話者のこちらは、日本語読みでしか発音できないので、それを英語での会話にまぜて使う。そのとたん、相手との会話が途切れてしまったのである。悔しかったのは、英語ネーティブの同僚が会合に同席していると、固有名詞がでてきてもすんなりと通じてしまう。英語では中国語の原音に近い発音がされるためだ。中国と同じ漢字文化圏にある日本で、漢字を学習して使ってきた日本人の方が、漢字そのもののせいで四苦八苦するという、何とも言えないもどかしさを経験してきた。

 

 日経新聞や読売新聞、朝日新聞などの新聞メディアは中国人の名前にはカタカナのルビをふってくれているので、中国語での発音がわかるようになった。先月に急死した前首相の李克強氏の場合は、朝日新聞は(リー・コーチアン)、読売新聞は(リークォーチャン)、日経新聞は(リー・クォーチャン)と表記した。

 一方、NHKは日本語の字音読みで「リ・コッキョウ」とテレビでもラジオでも発音している。NHKの番組を聞いている限りでは、日本語での会話の中でしか通用しない。英語で中国人とコミュニケーションをする中で、彼の名前を出して話題にするのであれば、リー・クォーチャンと言わないと会話が成立しなくなる。

 

 NHKの場合は、日本語と中国語の相互主義の考えから、中国の地名・人名は「漢字表記・日本字音読み」を原則としているという。放送用語委員会が公開している「中国の地名・人名についての再確認」という文書(2008年3月)にそのように明記されている。それによると、「相互主義」とは、同じ漢字を使用する国が、それぞれの国の読みに合わせて相手の国の地名・人名を表記したり読んだりすることである、という。

 

 中国の例ではないが、同じ漢字圏の台湾に関するニュースを読んでいたNHKラジオのアナウンサーが以前、台北の都市名を「タイペイ」と読んだことがある。しばらくしてから「タイペイではなくて、正しくはタイホクでした」と訂正したことがある。聞いていたこちらは、「あれ?日本語でもタイペイって普通に発音するんじゃなかったっけ?タイペイが間違いなら、上海だってシャンハイではなくて、ジョウカイって発音しなくちゃいけないのでは?」と単純に思ってしまった。

 

 上記の「中国の地名・人名についての再確認」という文書によると、地名に関しては中国語読みと日本語読みのどちらが日本人により認識されているかで決まるらしい。だから、北京や上海はペキン、シャンハイ。したがって、地名に関しては、事はさらに複雑らしい。西安にいたっては、セイアンと読むのと、シーアンと読むのはどっちかがはっきりしておらず、日本人の認識が「揺れている状況」だという。

 

 はっきり言って、日本語の場合は原則があるようで無いような状態で、英語に比べると極めていい加減な状態が放置されていると思わざるをえない。ちなみに、中国人の知り合いに聞くと、日本人が北京を「ペキン」と発音するのは北京ダックを想像してしまい、発音が変で嫌らしい。中国人の発音では「ベイジン」だし、英語でもBeijing と発音するから、相互主義に合致しない例外も存在する。しかも、それが国家の首都名の発音に関してである。

 

 2012年10月からNHKのラジオとテレビの講座で中国語を学び始めた。その前月から尖閣諸島の国有化をめぐって中国で反日デモが拡大し、自分のビジネスにも影響が出始めたことが契機になった。商売相手のことをもっと知ろうというのが動機のひとつだった。この結果、中国企業とのコミュニケーションに関しては、英語での会話が飛躍的に楽になった。発音に慣れるのに3年ほどかかったものの、漢字の固有名詞が中国語風に英語でも発音ができるようになり、相手との理解が深まった気がする。

 

中国語を学び始めたばかりの2013年10月の北京で。大気汚染がすごくマスクを手放せなかった。

中国語を学んで10年だが、読み書きはできても会話は相変わらず苦手だ。

 この10年あまりの学習で中国の固有名詞は中国語に近い音で発音できるようになったが、中国語での会話になるといまだに苦手で、中国に出張していても中国語での会話は勘弁してくださいと相手にお願いせざるをえない。したがって、会話でのコミュニケーションは相変わらず英語である。

 

 日本の大学・大学院で中国語を専攻して習得したとか、中国に留学して学んだとかの恵まれた経験がない限り、中国語での会話を高度なレベルまでに引き上げるのは難しいと、個人的には思う。ビジネスレベルの会話で中国語を使える日本人は非常にできる人材だと思う。これとは逆に、ビジネスレベルの会話で日本語を使える中国人は、かなり多くいるが、こうした人たちは優秀だと思う。

 

 外国語を雄弁・堪能に使えるようになるには、日常的にその言語を使う環境にいる必要がある。今の自分には中国語を日常的に使う環境はない。ところが、英語に関しては幸いなことに日常生活でも仕事でも使う環境に自分は今いる。グローバルなコミュニケーションのツールとして英語は必要不可欠だから、これだけは常に学習を続けて、その言語能力を維持・発展させ続けねばならない。

 

 自分なりの結論。中国語を10年以上も学んでも、中国とのビジネスで使うコミュニケーションは英語がベースだ。英語で中国の固有名詞をどう発音しているかが、コミュニケーション上での基礎となる。この意味から「発音の相互主義」には強い疑念を抱かざるをえない。相手国の言語文化を尊重するという原理・原則は理解できるし、そうあるべきだとは考えるのだが、グローバルなコミュニケーションという観点では見直しか修正が必要ではないかと強く思うのである。

 

 漢字文化を深く理解している日本人であるがゆえに、ある意味では相互主義の発音原則に縛られて、コミュニケーションに何らかの障害が生じているという現実がある。英語ネーティブの人たちの方が、中国人とうまくコミュニケーションできるという不甲斐なさを感じた経験がある人は、私だけではなかろう。

 

 大手新聞が中国人の人名にフリガナ・ルビをふって表記するのが当たり前となってきた現在、この流れはさらに加速していくであろう。その一方で、NHKのような影響力の強い日本語メディアが相互主義に基づく日本語読みを続けて放送していくのは、圧倒的に英語をベースとしたグローバルなコミュニケーションが行われている今の時代に、果たして合致しているのだろうかと疑問に思うのである。